私はその類(たぐい)ではない

「数」とは何か、そしてそれはどうあるべきか

改定版・Roxy Music訳詞『Always Unknowing』:逃避行中の二人・すれ違う会話・人間にとって「いつだって何も知らない・分からない」ものの一つが「他人の心」だ


明けの明星を追って東へと向かおう
 
「だけど、絶えず逃げ回ることに意味はないわ」
 
必要なものを全部持って出発しよう
 
「ちょっと待って、少しは私に時間をちょうだい」
 
いつだって
何も知らない
 
世界が汝を通り過ぎんことを!
 
「世界は、まさにそうやって動いていくものよ」
 
いつだって
何も知らない

私の側を離れないでくれ

「絶えず逃げ回ることに意味はないわ」

もう一度だけ私にチャンスをくれ、それだけが私の望みだ
 
いつだって
何も知らない
 
どうかこの夜を止めてくれ
君のため息で
 
いつだって
何も知らない

 
Web上に流布している”Always Unknowing”の歌詞は実は正しくない。正しい歌詞は、今野雄二氏の著書『ブライアン・フェリー詩集 アヴァロンの彼方へ』(シンコー・ミュージック刊、1987年)に掲載されているものの方だ、ということに気付いた。
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正しい(と思われる)聞き取りが世の人々の役に立つように、以下にテキストで書き下しておく(赤字部分が流布版と異なっている箇所)

Follow the morning star
But there´s no sense
In always running
Take what you want and go
Just give me time
Always unknowing

World pass you by
That's how it goes
Always unknowing

Don't you leave my side
There is no sense
In always running
Just one more time
Is all I need
Always unknowing

Hold back the night
With your sigh

Always unknowing
なお、太字にした"sigh"は、『詩集』では"sighs"と複数で記載されているが、どうやら複数ではなく単数の"sigh"に聴こえることを発見したので修正してある。

「本当」の歌詞を検証するために、フリーソフトSoundEngineを使って、同曲のWavファイルをかなり遅めの速度で波形を表示しつつ再生させてみた。

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その結果、問題のライン(流布版で"Hold back tonight / With your sight"と記述されている行)の最後の単語は、"sight"ではなく"sigh"と歌われていることがほぼ確実だと思われた。難しいのは"Hold back xxxt"の部分で、これが"tonight"なのかそれとも"the night"なのか、私の耳では何回聞いても判然としない。スピードを落とし、音量を上げても、この部分だけは曖昧で判然としない。つまり、結局のところ、はっきりしたことは分からない。

私は今、自分が映画『Blow UP(邦題:欲望)』のカメラマンか、映画『ミッドナイト・クロス(原題:Blow OUT)』の音響効果技師になったような気がしている。
 
Blow UPの主人公であるカメラマンは、自分が偶然撮った写真から「真実」を知ろうとして、その写真をどんどんズームアップしていく。しかし、写真に写った画像は拡大を続けると、そのオリジナルの解像度の限界に達した時点で、どれも互いに区別できない点の集合になる。
 
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Blow OUTの主人公である音響効果技師は、自分が偶然録音した音源から自動車のタイヤのパンク音と拳銃の発砲音を区別しようとして、その音源を徹底的に解析する(そして映画では運良くそれに成功する!)。しかし現実には、録音された似たような音を区別するために、それらを数値的に無限に解析することはできない。写真の画像拡大の場合と同じく、オリジナルの音源の分解能に達した時点で、それらの音声データは互いに区別がつかない状態になるからだ。

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なお、この詩の冒頭の"Follow the morning star"を訳すにあたっては、以下の小説のタイトルがヒントになった。

 
しかしそもそも、「明けの明星を追う」という出だしの時点で、この詩の舞台は現代ではないと気付くべきだ。また、この詩のテーマは「何らかの理由で逃避行中の二人(の男女?)のすれ違う会話」だと思われる(男女2人の逃避行と言えば、ナボコフの『ロリータ』を連想させもする)。だが、別に二人ではなくとも三人以上の異なる話者(人格)が発するポリフォニー的な会話のコラージュと捉えることも可能だ

そして一番重要なのが、結局ここでの(人間が)「常に無知である(いつだって何も知らない・分からない)」ものとは一体何なのか?ということだ。この問いに答えられないならば’、この訳詞(妄想訳!)は失敗である。

人間が常に無知であるものとは何か?
その答えの一つが「他人の心」だ。
 
男にとって「女の心」ほど不可解なものはないなどとよく(?)言われるが、別に男や女に限らず、人間にとって「他人の心」ほど分からないものはない。