私はその類(たぐい)ではない

「数」とは何か、そしてそれはどうあるべきか

「近隣の脅威」に関する危険な賭け

アンタが住んでるご立派なマンションの
裏にあるボロ家に
引きこもりの男が独りで住んでいる
奴はアンタに気に入られようなんて
ハナっから思っちゃいない
だから
アンタは奴が気に入らない
アンタは言う
「奴の目を見たかい?ありゃマジでキチガイの目だぜ」
アンタは奴と会話したことは一度だってない
でもアンタはそう言いふらしてる

だけどほんとはアンタ
奴に初めて会ったとき
奴がアンタのケツにキスしなかったことに
ビックリしちゃったんだろ?
ここいらの住民はみんな
アンタのケツにキスしたがるのにね
だけど奴はそうしなかった
アンタはそのことに超ムカついてんだろ?

あの男が苦境に喘いでるのは確かだよ
だけどアンタにゃ奴を救えないし
誰も奴を救えない
そんなこたぁ奴だってとっくに分かってる
アンタを含むここいらの住民からは
何の助けも得られないってことを

だけどアンタ
今後もずっと
アンタの危険な賭けを
続けるつもりかい?
この「近隣の脅威」に対して

どっかで赤ん坊が泣いてる
どっかでおっ母さんが金の工面に困ってる
そのおっ母さんにはプータローの息子がいて
そいつは四六時中ワケわかんねぇこと叫んでる
「奴の目を見たかい?ありゃマジでイカれてるぜ」
アンタはそう言いふらしてる

だけどほんとはアンタ
奴と目が合ったとき
奴がアンタの金玉を磨かなかったことに
ビックリしちゃったんだろ?
ここいらの住民はみんな
アンタの金玉を磨きたがるっていうのにね
だけど奴はそうしなかった
アンタはそのことに腹を立ててるんだろ?

あの男が金に困っているのは確かだが
アンタにゃ奴を救えない
誰も奴を救えない
奴だって分かってる
アンタやこの周辺の住民からは
何の助けも得られやしないってことを

だけどアンタ
今後もずっと
アンタの危険な賭けを
続けるつもりかい?
この「近隣の脅威」に対して

原詩はこちら:http://www.azlyrics.com/lyrics/iggypop/neighborhoodthreat.html

2016年2月現在の日本では、「近隣の脅威」(neighborhood threat)と言えば、北朝鮮による核実験やら弾道ミサイル発射やらがもたらす軍事的な脅威を連想するが、Iggy PopDavid Bowieによるコラボ作品の一つである『Neighborhood Threat』のテーマは、あなたの近所に住んでいる「あなたの思惑通りには絶対に行動しない他者」なのである。

中国、ロシア、韓国、北朝鮮などの国を、日本にとっての「厄介な隣人」、「困った隣人」、「メンドくさい隣人」などに喩える文章がしばしばメディアに登場したりもするが、もしそれらの「隣人」が「あなたの思惑通りには絶対に行動しない他者」であったとしたらどうか。そのような隣人との間で執り行う(あるいは意識的に執り行わない)折衝や外交などの活動は結局、行き当たりばったりの、どっちに転ぶか分からない賭けでしかなくなるだろうか?

また、一挙に話のスケールは小さくなるが、ご近所トラブルのよくある例として「ゴミ屋敷」問題があるが、そのゴミ屋敷の住人が「あなたの思惑通りには絶対に行動しない他者」であったとしたらどうか。当人を説得することは不可能なので、有無を言わさぬゴミの強制撤去しか打つ手はなくなるのだろうか。

だが、この数年間、自分が居住している集合住宅の管理組合および居住地域の自治会活動に参加したりしてしみじみ感じるのは、将来の地域住民同士による来るべき新しい形のコミュニティは、「あなたの思惑通りには絶対に行動しない他者」が目の前に厳然として存在していることを前提に構築されなければならない、ということだ。将来的には、外国人の受け入れだけでなく、日本人の日本国内の移動(災害時を含む)もさらにスムーズに行えるようにする必要がある。今後は、市民が自主的自発的に運用する無線通信システムの実現を踏まえて、そのような来るべきコミュニティのあり方を考えていきたいと思う。

歌詞に関する蛇足:Iggyのアルバム"Lust for Life"に収録されているオリジナルバージョンの『Neighborhood Threat』は、Bowieのアルバム"Tonight"に収録されている同曲とは、やや歌詞が異なっており、特に大きな違いはIggy版の最終行が"Will you still place your bet Against the neighborhood threat"であるのに対して、Bowie版は"Will you still place your bet On the neighborhood threat"
になっていることである。"place one's bet against..."には「~でないことに賭ける」という意味があるため、"bet against"を"bet on"と変更すると意味が逆転するのでは?と戸惑ってしまう。推測だが、Bowie版では、ポピュラリティーを意識して、多義的な"bet against"という表現を、ある程度無難な"bet on"に言い換えたのではないかと思われる。