私はその類(たぐい)ではない

「数」とは何か、そしてそれはどうあるべきか

ディラン訳詞『The Man In Me』:私の中にいるあのオトコと話をつけるには、きみのようなオンナが要る

僕の中にいるあのオトコは
大抵のことは何でもやってくれる
だけどその見返りとして
アイツが要求するものがある
早い話が
僕の中にいるあのオトコと話をつけるには
きみのようなオンナが要るのさ

不吉な暗雲が僕んちのドアの周りで荒れ狂っている
僕はもうこれ以上耐えられないので
この嫌なシゴトをアイツにやらせようと思う
だけど僕の中にいるあのオトコを見つけ出すには
きみのような種類(タイプ)のオンナが必要なんだ

僕の中にいるあのオトコは時々どこかに隠れてしまう
おそらくアイツは
自分がなんらかのマシーンにされてしまうのを嫌がっているんだ

僕の中にいるそんなオトコと話をつけるには
きみのようなオンナが要る

原詩:http://www.azlyrics.com/lyrics/bobdylan/themaninme.html

この詩の背景にはアメリカの徴兵制があると思われる。今ではどうだか分からぬが、1960年代の欧米諸国において、(当時萌芽しつつあった、それまでに無い、ある独特なタイプの)ロック音楽(ボブ・ディランの作品を含む)を好むような若い男性が最も忌み嫌う「オトコのシゴト」の代表例、それが兵役だったと思われる。兵役を務めなければならない状況に追い込まれた場合に、「オトコらしくあること」に関して肯定的な価値をどうしても見出せない男の子は、もしかしたら自分の中に棲んでいるかもしれない「オトコらしいオトコ」を見つけ出し、そいつと話をつけることで、その嫌な仕事を自分の代わりにやってもらうことができたならば、どんなに楽かと想像するのだ。

なお、「自分の中にいる(自分とは別のもう1人の)男と話をつける」という言い方には論理的矛盾が含まれている。自分の中に別の男がいるのなら、{自分の中の男}の中にもまた別の男がいるはずであり、したがって{{自分の中の男}の中の男}の中にもまた別の男がいる...ということになるため、「自分の中の男と話をつけ」ようとすると、どこまで行っても終わらない無限ループに陥ってしまう。このループから抜け出す最も簡単な方法が、ループの反復回数の上限である正の整数nを、同ループからの脱出条件として明示的に指定することだ。だが、そのような正の整数を指定することには、計算リソースの節約という名目的な理由以外には何の根拠も必然性もありはしない。計算リソースが無限であるとするならば、永久にループを続けても構わないではないか。