セックス・ピストルズ訳詞『God Save the Queen』:観光客とは貨幣だ、伊藤比呂美「アウシュビッツ ミーハー」、ボウイがレイプされたジャケ写(非実在)について
神よ女王を救い給え
狂ったファシスト政権が
お前ら大衆を全員アホにしちまった
水爆並の可能性を持っていたはずの大衆を
神よ女王を救い給え
あのババアは人間じゃない
夢見がちなイングランドには
何の未来もない
自分の欲しいものは何かも
自分に必要なものは何かも
他人から言われなきゃ分からないのか?
そんなお前らには
未来もなけりゃ明日もない
お先真っ暗だ
神よ女王を救い給え
俺たちマジで
女王が大好きだ
神は彼女を救い給う(棒)
神よ女王を救い給え
なぜって観光客はいいカネになるから
だが俺たちの名目上のリーダーは
彼女が思っているようなものじゃない
神よ歴史を救い給え
神よあのお前らの気違いパレードを救い給え
あぁ主よどうかお慈悲を
このままだと
すべての犯罪が報いられることになってしまいます!
未来がないなら
罪もありようがない
我々はゴミ箱の中に咲いた一輪の花だ
我々は人間機械の内部に忍び込んだ毒物だ
我々が未来だ
お前ら大衆の未来だ
神よ女王を救い給え
俺たちマジで
女王が大好きだ
神は彼女を救い給う(棒)
神よ女王を救い給え
俺たちはマジで言いたい
夢見がちなイングランドには
何の未来もないんだと
今のままじゃ
未来もなけりゃ
明日もない
お前らも俺もみんな
お先真っ暗状態のまま
悲惨な死を迎えるしかない
原詩:http://www.azlyrics.com/lyrics/sexpistols/godsavethequeen.html
狂ったファシスト政権が
お前ら大衆を全員アホにしちまった
水爆並の可能性を持っていたはずの大衆を
神よ女王を救い給え
あのババアは人間じゃない
夢見がちなイングランドには
何の未来もない
自分の欲しいものは何かも
自分に必要なものは何かも
他人から言われなきゃ分からないのか?
そんなお前らには
未来もなけりゃ明日もない
お先真っ暗だ
神よ女王を救い給え
俺たちマジで
女王が大好きだ
神は彼女を救い給う(棒)
神よ女王を救い給え
なぜって観光客はいいカネになるから
だが俺たちの名目上のリーダーは
彼女が思っているようなものじゃない
神よ歴史を救い給え
神よあのお前らの気違いパレードを救い給え
あぁ主よどうかお慈悲を
このままだと
すべての犯罪が報いられることになってしまいます!
未来がないなら
罪もありようがない
我々はゴミ箱の中に咲いた一輪の花だ
我々は人間機械の内部に忍び込んだ毒物だ
我々が未来だ
お前ら大衆の未来だ
神よ女王を救い給え
俺たちマジで
女王が大好きだ
神は彼女を救い給う(棒)
神よ女王を救い給え
俺たちはマジで言いたい
夢見がちなイングランドには
何の未来もないんだと
今のままじゃ
未来もなけりゃ
明日もない
お前らも俺もみんな
お先真っ暗状態のまま
悲惨な死を迎えるしかない
原詩:http://www.azlyrics.com/lyrics/sexpistols/godsavethequeen.html
<<訳詞解説>>
6月6日付の読売朝刊文化面には、「ゲンロン0 観光客の哲学」という書籍を紹介した次のような記事が掲載されていた。
6月6日付の読売朝刊文化面には、「ゲンロン0 観光客の哲学」という書籍を紹介した次のような記事が掲載されていた。
同記事によれば、
「観光客」は「当事者」の対義語で、特定の共同体にのみ属する「村人」ではないし、どの共同体にも属さない「旅人」でもない。これは「観光客とは貨幣だ(Tourists are money)」という意味だと直観した。しかも、観光客とは、
らしいから、
「アウシュビッツ ミーハー」は伊藤氏の「テリトリー論II」(1985年刊)に収録されていた詩であり、伊藤さんがアウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館を観光客として訪問した体験を元に書かれたと思われる内容。ふざけているのは(照れ隠しと思われる)自虐的なタイトルだけで、詩の内容は恐ろしく真面目だ。
また、David Bowieはアルバム「Lodger」で、「ある場所で行き詰まり、にっちもさっちもいかなくなると何もかも放り出して咄嗟に旅に出る、世界中を気ままに旅する”間借り人”」を称揚する曲を歌う一方で、「(おそらくは彼の間借り先の地元民である村人によって)公衆便所でボッコボコにされ、鼻の骨をへし折られた白人男性」の(ポラロイド風)写真をアルバムジャケットに採用している。
これは「アウシュビッツ」という”重い”単語の後にすかさず「ミーハー」という”軽い”単語を繋げることにより単なるお気楽な観光客でしかない自分を対象化するという自嘲的な行為と同様、ボウイのアーティストとしての自己諧謔的なバランス感覚の発露であり、特定の共同体にのみ属する「村人」ではないし、どの共同体にも属さない「旅人」でもない単なる「間借り人」を称揚した自分に対して、相応しい罰を与えているのだ。
ただ、上記アルバムジャケットのインパクトはそれほど強くなく、いっそ(村人によって)
「ボウイがレイプされた写真」がジャケ写だったなら、それなりに衝撃的ではなかったかと思う。
「ボウイがレイプされた写真」がジャケ写だったなら、それなりに衝撃的ではなかったかと思う。
マルコムXは「白人が黒人に向かって”俺が憎いか?”と聞くのは、レイプ犯がレイプ被害者に向かって ー または狼が羊に向かって ー ”俺が憎いか?”と聞くのと同じだ」と述べ、白人への憎悪を露わにしたが、他者を蹂躙した者にはそれに相応する罰が下されるべきだ。少なくとも、「不真面目で恥知らずの観光客や間借り人には、”他者”を蹂躙した廉(かど)により、いつか相応しい罰が下されるかもしれない」という不吉な予感を忘れないことは重要かと思う。