私はその類(たぐい)ではない

「数」とは何か、そしてそれはどうあるべきか

ロキシー・ミュージック訳詞『The Space Between』:固定的な「男と女」、「親と子」、「医者と患者」、「生産者と消費者」、「攻めと受け」という関係は真の対等関係でないが故に「正しく」ない

The way I see it
This relationship ain't right
The space between us
Better close it up tonight
The space between us
Close it up tonight


我が哲学に照らして
この関係は
正しくない

今夜は
我々の間にある
この空間を
閉じた方が良い

 

<<訳詞解説>>
来るべき完全接続メッシュ型社会における成員(メンバー)同士の関係は、「真の対等(peer to peer)関係」でなければならないと定義する。

精神分析医と被分析者」という固定的な関係は正しくない。さらに一般化すると、固定的な「医者と患者」という関係が正しくないのは、それが固定的な「親と子」、「教師と生徒」、「師匠と弟子」、「男と女」、「生産者と消費者」、「売り手と買い手」 、「書き手と読み手」、「演奏者と聴衆」、「スターとファン」関係と同様、「人格的に真の対等関係」になっていないからだ。

例えば「親と子」や「(恋愛関係または婚姻関係を構成する)男と女/男と男/女と女」という固定的な関係を「人格的に対等な“正しい”関係」へと変革するためには、D.ボウイの"Oh!you pretty things"や"Kooks"の詩に見られるような「人は誰しも捨て子である」という透徹した認識(orphanism)を普及させなければならない。

マルコムX」という奇妙な名前を初めて知ったのは、Steel Pulseのセカンドアルバムのタイトル曲「Tribute to the Martyrs」(https://www.youtube.com/watch?v=7lK69c2_TYo)(1979年)からだった。最近になって読んだ『マルコムX自伝』によれば、マルコムは、彼が通っていた中学校のクラスで唯一の黒人であったが、学業成績は常にトップであり(数学は苦手だったらしいが)、級長にも選ばれたという。だが、自分が級長になれたのは、当時の白人の教師や里親やクラスメートたちが自分を「マスコット」ないし「ペット」的な存在として扱っていた結果に過ぎないことを彼は見抜く。また、彼は中学卒業後、弱冠16歳で若くて裕福な金髪の白人既婚女性の情夫となるが、当時の黒人男性にとって娼婦以外の白人女性を「モノにする」ことは、黒人コミュニティにおける最上級の「勲章」であり、彼は自分が獲得したその勲章を大いに利用して同コミュニティでの存在感を示すのだが、その一方で彼は、その白人女が自分のことを「自己の欲望充足や差別化に利用できる魅力的な性的対象」としてしか認識していないことを見抜いて絶望している。

マルコムXは白人への憎悪(hate)をむき出しにした演説を行った。

The white man to ask the black man if he hates him is just
like the rapist asking the raped, or the wolf asking the
sheep, 'Do you hate me?'

マルコムXが望んでいたのは白人との完全に「対等(peer to peer)」な関係だった。

マルコムXは、自らがかつて所属していたイスラム教の教団が遣わした刺客から殺される直前に、彼の憧れだったメッカ巡礼を果たしており、人種も国籍も異なるイスラム教信者間で実現されている対等性にいたく感動している。だが、神(アラー)を中心としたスター型トポロジーにおけるメンバー同士の関係は果たして完全に対等(peer to peer)だろうか?それは神というイデアを媒介としてしか通信できない隣り合う信者間の「隣人愛」にすぎないのではないか?

我々は、何らかのイデア(火、太陽、神、数、貨幣、男根など)を中心としたスター型社会における「隣人愛」を克服し、自己からは無限に遠く離れた到達不可能な場所に存在する他者への「遠人愛」をベースとした完全接続メッシュ型ネットワークトポロジー社会への移行を模索すべきである。