私はその類(たぐい)ではない

「数」とは何か、そしてそれはどうあるべきか

ジミー・クリフ訳詞『Many rivers to cross』:時にはいっそ 恐るべき犯罪に手を初めてしまおうかと考えることすらある

渡るべき河は幾多あれど
その彼方にあるべき「我が道」を見つけられない

方々(ほうぼう)をさすらい歩き
完全に道を見失っている
あの白い崖に沿ってドーバー海峡を渡るたびに
そのことを身に染みて感じる

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(上記写真はhttps://en.wikipedia.org/wiki/White_Cliffs_of_Doverより引用)

渡るべき河は幾多あれど
自分の意志だけを頼りにこれまで生きてきた
何年にもわたって
打ちのめされボロボロになったのに
それでも自殺しなかったのは
私が辛うじて自尊心を持ちえていたからだ

今まさに私が感じているこの孤独感
それは今後もずっと私に付き纏うだろう

一人ぼっちでいることがこんなに辛いものだとは
体験してみなければ分かるはずもない
かつて一緒に暮らした女もいたが
彼女は何の理由も告げずに私の元を去った
多分私は挑まなければならないのだろう

私には渡るべき幾多の河がある
だが一体どこから始めれば良いというのか?
それすらも分からず
ただただ無為に時間をやり過ごしている
時にはいっそ
恐るべき犯罪に手を初めてしまおうかと
考えることすらある


渡るべき河は幾多あれど
その彼方にあるはずの「我が道」を見つけられない
方々(ほうぼう)をさすらい歩くうちに
道に迷ってしまった
白い崖(注)に沿ってドーバー海峡を渡る際
そのことを強く感じる
渡るべき河は幾多あれど
自分の意志だけを頼りにこれまで生きてきた

原詩:http://www.azlyrics.com/lyrics/jimmycliff/manyriverstocross.html

注:"White Cliffs"という名称を聞いて、黒人(Black)であるCliff氏は「もし自分が白人だったら」という思いを抱いたかもしれない。

<<訳詞解説>>
"This loneliness won't leave me alone"は、オーティス・レディングの"Dock of the bay"(1968年)とジミー・クリフ"Many rivers to cross"(1969年)で共通しているラインだ。直訳だと「この孤独が私を一人ぼっちにすることは今後もないだろう」となるが、孤独とはそもそも「一人ぼっちであること」として定義されるのだから、この言い方はちょいとシャレている。陳腐な日本語だと「これからもずっと、孤独だけが私の友達」に近いのかもしれない。

オーティスの(彼の死の直前にレコーディングされたという)"Dock of the bay"では、詞の語り手である放浪者(ホームレス?)の黒人男性は、サンフランシスコ湾の桟橋を寝ぐらと決め込み、何をするでもなくぼんやりと時間を無駄に費やしているだけだ。これに対して、ジミー・クリフの本曲では、詞の語り手である(おそらくはジャマイカからイギリスに移り住んだ)移民の黒人男性(この境遇はジミー・クリフ自身に重なる)は、困窮し道に迷い途方に暮れ思い悩みオンナにも逃げられ孤独感に苛まれ無為に時間をやり過ごしつつも、このままではいつか自分が「凶悪な犯罪を犯してしまうかもしれない」ことを恐れている。

(いつだったか、テレビ東京の番組『出没!アド街ック天国』の平井(東京の地名)特集の回で、隅田川だか江戸川だかをバックにしてジミー・クリフのこの曲がBGMとして流れたのだが、この曲の歌詞は『川の流れのように』のような人生応援歌とは真逆なのだ)。

これがさらに時代を下ってボブ・マーレイになると、怒れる生活困窮者はもはや無為に時間を過ごすことなどなく、その思想や行動は過激化する。

いくつ河を渡ればボスと話せるのか?
我々は得たものをすべて失った
我々は実際にコストを支払った
だから今夜
我々は焼き討ちと略奪を決行する
(Burnin' & Lootin'、1973年、原詩:http://www.azlyrics.com/lyrics/bobmarley/burninandlootin.html

ゆんべは冷やっこい地べたがおらの寝床で
硬い岩がおらの枕やった
(中略)
おら お天道さんをじっと見つめるだ
そしておらの目ん中で日の光さ輝かせるだ
そんでおら もう一歩踏み出すだ
なんでかっつうと
今おらは猛烈に教会さ爆破してぇ気になっとるからや
おめも知っとるべや
あの牧師が嘘ついとるっちゅうこと
自由の戦士たちが戦うとる時に
誰が家でじっとしていらりょうか
(Talking' Blues、1974年、原詩:http://www.azlyrics.com/lyrics/bobmarley/talkinblues.html

いずれの歌詞においても、現在の悲惨な状況を打破するための解決策は一切示されていない。なぜなら解決策などないからだ。宗教(への入信)は解決策にはならない。なぜならこれらの怒れる孤独な生活困窮者たちは宗教それ自体を唾棄対象ないし攻撃対象としているからだ(「I feel like bombin' a church(私は教会を爆破したい気分だ)」)。

2017年現在の日本社会も、凶悪な犯罪に走るかもしれない孤独で無気力な生活困窮者を男性女性を問わず大量に作り出しており、その解決策はまだない。