私はその類(たぐい)ではない

「数」とは何か、そしてそれはどうあるべきか

ボウイ訳詞『Big Brother』:独裁者とは人民の心身を自らの「所有物」としてその掌中に収めている人物であり、他者を完全に我有化(appropriate)しているという意味では奴隷の主人に等しい

塵や薔薇に語り掛けることなかれ
さもなくば我等
自らの鼻先に白粉を振らざるべけんや
去りし年の悪行のために生きることなかれ
我に鋼(はがね)を
我に鋼(はがね)の心を
我に非リアルなパルスの発信源を与えよ
 
彼は硝子の精神病院を建てるだろう
ほんのわずかな破壊行為によって
彼はより良い渦巻きを構築するだろう
我等は罪を原点として生きるだろう
そしてその時こそが
我等にとって本当の始まりとなるだろう
 
救い主よ、救い主よ
いでよ我等が前に!
そして我が声を聞け
我はグロテスクなほどに生々しく汝のものなり
 
我等の心身を掌中に収める人
我等が付き従うべき人
時には我等を蔑む人
戦士アポロの如き人
時には我等を欺く人
まるであなたのような人
 
そんなあなたを
我等は待ち望む

 
ビッグ・ブラザー
ビッグ・ブラザー

 
アンタ、自分が超堅物(カタブツ)だと思ってるよね?
でもアンタは
ありとあらゆるものを創造した上に
ありとあらゆるところに居られるんだろ?
主よ
アンタ、ヤクの量を増やした方がいいと思うよ
もしもアンタがこれから起きることをすべて知ってるんならね
 
我等の心身を掌中に収める人
我等が付き従うべき人
時には我等を蔑む人
戦士アポロの如き人
時には我等を欺く人
まるであなたのような人
 
そんなあなたを
我等は待ち望む

 
ビッグ・ブラザー
ビッグ・ブラザー
 
本曲のサビの出だしである"Someone to claim us"は長年私の悩みの種だった。動詞"claim"の代表的な意味は「~を主張する」という他動詞であり、"claim"に「~にクレームを付ける」(和製英語)という意味がないの有名な話だ。しかし、その目的語が「私達(us)」のような人称代名詞になった場合、これをどう訳したらよいのか分からないのだ。
 
例えば、小田嶋隆氏はある記事の中でこのフレーズを「強く主張する人」と誤訳してしまっている。"claim"の目的語は英語の構文上は明らかに"us"であるにもかかわらず、この翻訳では肝心の目的語が消えてしまっており意味不明となっている。
 
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一方、Oxford Living Dictionaries(https://en.oxforddictionaries.com/definition/claim)で"claim"を引くと、1.1節に次の意味が出て来る。
 
[with object] Assert that one has gained or achieved (something)
すなわち、動詞"claim"には「(目的語である何事かを)獲得または達成したことを主張する」という意味もあるのだ。だが、この意味での例文として示されていたのはいずれもvictoryやらadvanceといった抽象名詞を目的語とする文であり、usやyouやmeのような人称代名詞が目的語となっている例文は見当たらなかった。人称代名詞を目的語としたclaimの例文はないのかと、私は"claim us|me|you|him|her|them"などを検索ワードとしてWeb上を探しまくった。すると、"claim me"で次のエロ小説がヒットした。
 
どうやら"claim me"は「私はあなたのモノ(所有物)だと言って」または端的に言えば「私をあなたのモノにして」を意味しているらしいことが分かってきた。
 
さらに最近だと、『Claim me hard』というタイトルのこれまたエロ小説がヒットした。これは「私(という1人の女性)の所有権を主張する2人の男による争い」の物語であるらしく、同タイトルはどうやら「私はあなた(達2人?)のモノだと言ってちょうだい、もっとハゲシク」という意味らしい。
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ボウイの原詩に戻ると、"Someone to claim us"の直前に"Hear me, I'm graphically yours"という行がある。これは「聞いてくれ、私はgraphicallyにあなたのものだ」という意味であり、自分が相手(ここではビッグ・ブラザー)の所有物であると自ら告白している箇所だ。私はこれらの事実を総合して、"Someone to claim us"は直訳ならば我々のことを自らの所有物であると主張する誰かという意味であると結論するに至った。
 
それでも自信が持てなかったので、先日質問サイトのQuoraで質問(https://www.quora.com/What-does-Someone-to-claim-us-mean-in-David-Bowies-song-Big-Brother)したところ、Neil Anderson氏から最終的に次のような明確な回答を得た。
 
To claim is to state ownership. If you claim someone you own them.

訳:「claimするとは所有権を主張することである。あなたが誰かをclaimする場合、あなたはその誰かを所有している」
 
長い道のりであったが、私はついに"Someone to claim us"の真の(というと語弊があるので「多くの英語ネイティブスピーカーに受け入れられている」と言い換える)意味にたどり着くことができた。
 
なお、ボウイ本人もこの「"claim"の意味わかりにくい問題」には感づいていたようで、ライブアルバム『David Live』(1974年)に収録されているバージョンの「Big Brother」では、スタジオ版で"Someone to claim us"と歌われている箇所が、"Someone to lead us"と差し替えられて歌唱されているのだ。後者だと「我々を先導する誰か」という意味になり、後続する「Someone to follow(我々が付き従う誰か)」と相まって、"claim"にあったような曖昧さはなくなる。
(1:12辺りで"Someone to lead us"というフレーズが聴ける)
 
ボウイは「Neighborhood Threat」のカバーバージョンでも(おそらく曖昧さ回避のために)オリジナルの"bet against"という表現を"bet on"に差し替えている(詳しくは下記リンクを参照):

imnotthatkind.hatenablog.com

 
なお、"Hear me, I'm graphically yours"というラインは英語ネイティブの人にも聞き取りが困難なようで、"rapidly"や"perfectly"といった聞き取りも存在する。だがしかし、"graphically"が「グラフィカルに」という技術的な意味ではなく、「(エログロ的に)生々しく」という意味だと知った今となっては、この部分は"graphically"以外には考えられず、そのようにしか聞こえなくなってしまった(参考:http://blog.goo.ne.jp/zakkalich/e/b17537e5ceb412589dba7b09892cec50)。
 
当初は「独裁者とは何か」についての考察を書くつもりだったが、すっかり"claim"の意味を探る旅の記録になってしまったので、独裁者については次回の投稿で書くことにする。最後に、「~の所有権を主張する」という意味で日常会話で使われる"claim"という言葉と、実存主義哲学で使われる「我有化(appropriation)」という概念は通底していることだけを指摘しておきたい。