私はその類(たぐい)ではない

「数」とは何か、そしてそれはどうあるべきか

ボウイ訳詞(創作訳)『Five Years』:泣こうが喚こうが、人類に残された時間はあと5年だ

マーケット広場を通り抜けたとき
大勢のおっ母さんたちの嘆息が聞こえた気がした
みんなあのニュースを聞いてしまったんだ
泣こうが喚こうが
人類に残された時間は
あと5年しかないってことを

テレビでは
古舘伊知郎が嗚咽しながら
「地球はもはや死に瀕しています」
とか言ってた
涙と鼻水でぐっちょぐちょになった彼の顔を見て
彼の言うことも
今回だけは
まんざら嘘じゃないかもと僕は思った

そこで僕は
自分がこれまで耳にした音
(電話の発信音、着信音、保留音、オペラハウスの喧騒、大好きなメロディ…)
そして自分がこれまでに目にした人やモノ
(美しい男の子たち、カワイイオモチャたち、電気アイロン、テレビ受像機…)
それらのすべてを
片っ端から
自分の脳裏に刻み込もうとした

すると悲しいかな
容量の小さい僕の脳味噌は
まるで立錐の余地なくガラクタを詰め込まれた
量販店の倉庫みたいに
キリキリと痛んだ

だがその時
僕はなぜか急に
まずはありとあらゆる人を
僕の脳味噌に詰め込まなければならないと切実に感じた

おデブもガリガリ
ノッポもチビ助も
有名人も無名人も
みんなみんなみんなみんな
すべての人を僕の脳裏に刻み込まなければならないと感じたのだ

こんなにも多くの人を自分が必要としているなんて
僕はこれまで考えたこともなかった

片腕の折れた兵隊が
キャデラックのホイールを
じっと見つめていた


頭のイカれた若い女
ちっちゃな子供たちに突如襲いかかった
側にいた黒人が止めに入らなかったとしたら
その女は
子供たちを全員殺していたかもしれない

お巡りがひざまずいて
坊主の足に接吻した
それ見てオカマはゲロ吐いた

僕は
とあるアイスクリーム・パーラーのテラス席できみを見かけた
きみは寒風吹きすさぶ中
背の高いグラスに入ったミルクセーキ
ゆっくと飲んでいた
きみは笑いながら手を振ってて
そりゃあもうドキッとするほど
本当に素敵だった

今僕がまさに歌っている
この曲の中に
きみ自身が登場することを
きみはその時点ですでに知っていた
とは思わない

寒かった
雨が降っていた
まるで役者のように感じた
母のことを思い出し
母のもとに戻りたいと思った

思い浮かんだのは
あなたの顔
あなたの人生(*注)
あなたの話し方
あなたに接吻する
あなたは美しい

立ち上がって
また昔のように
自分の足で
歩いてほしい

原詩はこちら:http://www.azlyrics.com/lyrics/davidbowie/fiveyears.html

<<2017年5月30日付記>>(*注)の部分は、以前は「あなたの颯爽とした歩き方」と訳していましたが、"one's race is run"というイディオム(「誰々は死ぬ」の婉曲的表現)があることを知り、上記のように改訳しました。